森林組合コラム
森・樹・林業”について -その4-
2024.1.18
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
前回からまた、だいぶ期間が開いてしまいました。申し訳ありません。
お正月休みの間に、次何を書くか考えようと思っていたのですが、元旦早々、石川県能登地方で大きな震災が発生してしまいました。今もまだ全容はわかっていませんが、お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りし、被災された方々にお見舞い申し上げます。
私の住む龍神村も、南海トラフの巨大地震が想定されている地域にありますので、他人ごとではありません。今回は、自然災害と田舎の暮らしについて書いてみようかと思います。
普段、私たちは、大変便利な環境の中で暮らしています。特に都会では、あらゆる分野で分業が進み、大変効率的で、お金を出せば必要なものがすぐ手に入ります。それは、多くの人々が豊かな暮らしを求めてきた結果、手に入れた社会システムの上に成り立っています。
ただ、それは、災害時などに、一つの要素が欠けると、たちまち機能不全に陥ってしまう、大変もろいシステムでもあります。私が言うまでもなく、東日本の大震災の時、首都圏で発生した停電や断水で、肌身をもって感じられた方も多いのではないでしょうか?
同じ年の9月、紀伊半島の大水害がおこりました。うちの村では、人的被害はなかったのですが、崩土で道が寸断され、一時全村孤立、何日という単位の停電を経験しました。
電気復旧のめどが立たない不安はありましたが、ガスはプロパンガスで各戸独立していて、もしなくなっても薪になる木はいくらでも調達でき、水道は地域のタンクが空になるまでは普通通り蛇口から出てくるし、もし断水してもホースで引いてきた谷水があり、当面の生活に大きな不安はありませんでした。そして『ただの箱』になってしまった冷蔵庫の中身が腐らないうちにと、ランプで照らした食卓にやたら豪華な料理が並びました。小学校低学年だった娘には楽しい記憶だったようで、後日「また停電せんかなぁ?」などと言ってたくらいです。とはいえ3日目か4日目に電気が復旧した時には、本当にうれしく・ありがたく感じました。
その時の私の経験と、建物被害の激しい今回の能登の震災とは比較になりませんが、地域住民による炊き出しの様子の報道などを見ながら、こういった時に、田舎の暮らしには普段の便利さにかける分、やっぱりしぶとい強さがあるなと感じました。
田舎での暮らしは、都会と比べると効率は良くないですが、より自己完結に近いので、インフラやシステムの一部が欠けたときにも対応しやすいのだと思います。(どちらが良いとか悪いとかというつもりはありません。)
そういう田舎に住んでいるのですが、この先いつか起こるであろう南海トラフの大地震を考えると、これまでの経験とは違い、より一層進んだ過疎化・高齢化の中で、どこまで『田舎のしぶとさ』を発揮できるのか、という不安も感じて、どんな対策をしておけばよいのか、いろいろ思案しています。
どういうところで暮らしていても、何かあった時のこと、機会を見つけて考えておくのも大切かと思います。今回の災害を目にして、すでに対策を取られている方も多いかもしれませんが、まだの方いましたら是非一度お考えください。
そして、災害がおこった時には大勢の人の助けが必要です。
応援の仕方は色々あると思いますが、最後に石川県の義援金受付についてのページのURLを貼り付けておきます。一刻も早い復旧を願いながら、今回はこれで失礼します。
著:龍神村森林組合 組合長 眞砂(まなご)
“森・樹・林業”について -その3-
2023.7.27
猛暑の季節になってまいりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
前回のコラムを書いてから、半年以上が経ってしまいました。5月に「そろそろ次のコラムを!」とご依頼をいただきそのタイミングで、「そうだ!今年大豊作だったタケノコのことを書こう!」と思ったのですが、いろいろな団体の年度替わりの、総会や役員会での出張やら何やらが続き、ついつい今になってしまいました。
ということで申し訳ないのですが、季節外れのタケノコのことを書かせていただきます。
私の家には、家のすぐ裏と車で数分くらいのところに孟宗竹の竹藪があります。シーズンは4月に入る頃からG.W.頃まで。タケノコは大好物で、物心ついた時には、父について唐鍬(植林する時などに使う鍬)を手に、タケノコを掘りに行っていました。いつもシーズン近くになると、もうそろそろかな、そろそろかなと、早起きして見回りに出かけます。そして毎年、初物の写真はSNSでたくさんの「いいね!」をいただきます。
今年撮った写真とそれを掘っている動画をつけてみます。
掘る時のコツを言いますと、タケノコは地下で曲がって出てきてるので (写真右奥のタケノコは左側から、手前のは右側から上に出てきています)、それを見極めてそこに鍬を入れると、あまり大きな穴を掘らなくても、動画のように割と簡単に掘りだすことが出来ます。掘ったタケノコは袋に入れて担ぎ出すのですが、今年は大豊作で、何往復もして、それはそれは大変でした。写真はそんなある日の軽トラです。
大変そうでしょう(笑)。このあと森林組合の玄関に横付けして、恒例の「ボーナスの代わりや~」と笑いながら職員さんに配りました。
掘ったタケノコは、出始めにお隣さん、そしてご近所、森林組合や毎年待ってくれている人へと順にお届けしていきます。今年は大豊作すぎて、それが2度目3度目、そしてとうとうさばき切れなくなってしまいました。村の中を走り回って知り合いを見かけるたびに「タケノコいらんかい?」と声をかけたり、街まで出かけて、高校時代の下宿のご近所さんや、十数年ぶりの同級生と、思いつく限りの知り合いに配り歩いてさばき切りました。
「えらい騒ぎして掘ってきたもの、人にあげてしまわんと売ったらええのに!」と言われるのですが、基本的に売り物と思っていません。これがいくらになるとか考えると、惜しげもなく配り歩くことが出来なくなりそうで、それより、お返しで思いがけない贅沢な食卓になったり、この機会に話しする人が出てきたり、コミュニケーションが取れることの方が楽しいのです。今年はおかげで、長らく会ってなかった友達と会う理由になりました。
配るのも楽しみですが、大好物でもあります。特にお店には並ばない、少し青くなりかけた育ちすぎの物の根元の方を、パリン!パリン!と割れるような音を立てながら食べ始めると止まらなくなってしまいます。以前は塩漬けにしてみたり、保存も考えたのですが、最近は一年分を、一番おいしい旬に食べて、また来年を待つことにしています。
田舎暮らしの一端を感じていただけたでしょうか?
タケノコを語るとまだまだ尽きないのですが、今回は、これで失礼します。
著:龍神村森林組合 組合長 眞砂(まなご)
”森・樹・林業”について -その2-
2023.1.26
「龍神材ブランド」への取り組み
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、こちらでは先日、丸太の市場で初市が開催されました。「マグロが初セリで何千万円で落札されました。」というニュースがありましたが、丸太にも市場があってセリが行われています。
和歌山県では3ケ所の市場でセリが行われていますが、そのうち2ケ所、龍神と田辺の初市の様子(約1分)です。
令和5年初市【龍神木材共販所】と【田辺木材共販所】 - YouTube
(他にも色々ありますので、よろしければそちらもご覧ください)
丸太の流通には様々な形態があって、一言で「流通はこんなになっています。」と言い切れるものではありませんが、ここ龍神村での流通のお話をさせてもらおうかと思います。
龍神村では古くから良質な杉や桧が生産されてきましたが、50年くらい前までは『伐採業者が、山主(森林所有者)から山にある立ったままの木を“この山いくら”で買い取り、伐り出しして、自分の取引先(製材所など)やよその地域にあった原木(丸太)市場で販売する。』というような形が一般的でした。
簡単に情報が手に入らなかった時代なので、山主はその先、自分の木がどのような評価がされて、どう使われているのか、ほとんど知ることはありませんでした。
それが「村ぐるみ林業」を標榜していた昭和40年代の龍神村で、活発に勉強会や情報交換が行われ「県内で製材されるだけでなく、どうやら龍神の木が、銘木で有名な吉野にも運ばれ、高値で取引されているらしい。」ということがわかってきました。
「それなら自分らの手で売ってみようやないか!」ということで、龍神村森林組合が運営する原木市場『龍神木材共販所』を開設し『龍神材』のブランド化に取り組みました。
簡単に書きましたが、山奥の田舎で新たに原木市場を開設して維持するには、大変な熱意と労力が必要だったと思います。「第1回から百何十回まで、うちも毎回出荷して協力していたんや。」と父から聞いたことがありますが、当時の村の山主さん達は「自分たちの市場だ!」という気持ちでこの市場を作り、育ててきたのでしょう。
いまは月二回、年間およそ3万㎥(1,000棟分)・4億円の丸太を扱い、県内の原木流通の拠点となっています。
原木市場の存在は単に流通だけでなく、他にも大きな意味がありました。気軽に話を聞くのが難しいような、製材所の社長さんや仕入れの担当者が、市の度に集まって来てくれるのです。私は20代でUターンしてから、市の度に覗きに来ていましたが、そこで見聞きしてきた事の数々が、いま組合長として必要な知識の土台になっているように感じています。
今回紹介したのは、流通の様々な形の一つで、時代によって流通方法も変わりつつあります。これからどう変わっていくのか分かりませんが、先人の思いや担ってきた役割を、山で育つ木と共に次の世代に引き継いでいけたらなと思っています。
機会があれば、どうぞ丸太の市場見学にお越しください。
今回はこれで失礼します。
著:龍神村森林組合 組合長 眞砂(まなご)
“森・樹・林業”について -その1-
2022.11.07
龍の棲む森プロジェクト”をわが龍神村で実施していただけること、大変うれしく思っています。これから数回コラムを書かせていただきます私、龍神村森林組合 組合長の眞砂(まなご)と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、『龍神村』という名を目にして「いったいどんなところだろう?」と思った方、ネット検索する前に、よろしかったら30秒、目を瞑って想像してみてください。
~30秒~
霧におおわれた険しい山々と、そこを流れる清流を思い浮かべた方、
苔むした森の中、木々の間から差し込むお日様の明かりが浮かんできた方
錦絵のような色とりどりの紅葉や、雪をかぶったモノクロの山々を思い浮かべた方
どなたも正解です!
こちらをご覧ください。
もう少し説明しますと、 龍神村は、その名前の由来にもなった日本三美人の湯の一つ『龍神温泉』を中心とした観光と、古くから『龍神材』と名高い良質な杉桧を生産する林業の村です。
これから、何回かに分けて龍神村の林業や暮らし、日本の林業について書いていきたいと思います。
今回は最近ニュースなどで話題になっている『ウッドショック』の解説をとおして、少し日本の 林業の現状に触れたいと思います。
現在(令和 4 年初夏)『ウッドショック』と呼ばれる木材需給のひっ迫が起こっています。コロナ禍による世界的な物流の混乱と資源高により、外材が容易に(そして安価に)手に入らなくなったことが原因ですが、国内に豊富な森林資源を持つ日本が、なぜ外材に頼るようになったのでしょう。
時はさかのぼって昭和 39 年、国内の木材不足を補うため、輸入自由化が行われました。その後もしばらく (昭和55年頃まで) 木材価格は上昇しましたが、日本が経済力をつける中で、海外の平地にある広大な天然林から産出される木材(中には樹齢数百年の物もあり)は、品質が良く安価で安定的に手に入る木材として、国産材のシェアをどんどん奪っていきました。
平成の中頃には木材自給率が20%を下回り、丸太の価格も最盛期の5分の1まで落ち込みました。戦後から昭和40年代にかけて国を挙げて植えられた人工林が収穫期を迎え始めていたのですが、山村の過疎化・高齢化と木材価格の長期の低迷で、日本の林業は瀕死の状態でした。
そして、この時期から自給率50%を目指した取組みが始まり、価格はともあれ令和2年には自給率40%にまで回復していました。
そこに起こったのが『ウッドショック』です。国産材のシェアが回復傾向にあったとはいえ、まだ6割を占めていた外材供給の急変を補うには、 国内の林業はあまりに脆弱で人も足らず、この混乱が起こったわけです。
ただ、木材に限らず、簡単便利に海外から買えば済んでいたモノが、何かのきっかけで買えなくなるという今回の事態が、私たちの生活スタイルを考え直すよい機会になったのではと、私は思っています。
皆さんはどう受け止められたでしょうか? 今回はこれで失礼します。
著:龍神村森林組合 組合長 眞砂(まなご)