“森・樹・林業”について -その5-

2025.1.10

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

前回のコラムから一年たってしまいました。四季々々くらいにとの思いはあるのですが、ついつい遅くなってしまい、申し訳ありません。

さて昨日が仕事始めだったのですが、森林組合の木材共販所(丸太の市場)では、初市・紀州材原木祭の準備であわただしく、龍神村内だけでなく県内各地から集められた良材が所せましと並んでいます。

特別市なので一般材は別の回のセリに回して良材ばかりで、

百数十年生の木や80年90年生といった古木の良材たちの中に、

樹齢はそれほどでもないのですが、同じように並べて売られる『枝打ち材』があります。

今日は『枝打ち』の話をしてみようと思います。

枝打ちというのは、立っている木の枝を切り落としてやることで、節のない良質な木を育てるための作業です。

写真は、今回の市に村内の篤林家が出荷したものですが、切り口(断面)に枝がまっすぐに切られた跡が見えます。

枝は木の芯から外に伸びて、この枝が製材した時に節になるのですが、枝打ちをすると、その切られたところの外側の部分には節が出ることはなく、無節の柱や板が出来るのです。手間がかかるので枝打ちされている木は少なく、良い時期にきちんと枝打ちされた木は、一般的な木よりもかなり高値で取引されます。

私がUターンしてきた約30年前、このサイズ(径18cm×3m)の一般的なヒノキ丸太が一本3,500円くらい、枝打ち材は一本12~15,000円くらいしていました。

それを市場で見て、当時自分も一生懸命枝打ちをしました。

「普通の木が何円で、枝打ち材が何円、今日は1日で(15年後の)50万円分の仕事したぞ!15年たったらもう左うちわやな!」などと、ニンマリしながら山に通っていたものです。

それが30年経ち建築様式が変わる中で、左うちわの話はどこへやら・・・。(相場によって変わりますが)一般材で1,800円前後、枝打ち材で2,5~3,500円くらいになってしまっています。

とはいえ、当時の自分の1日が、今の5万円くらいの仕事をしていたことにはなっているのです。そして、さらに30年、50年と経てば、無節の部分が増えていくので、より値打ちは上がっていくはずです。借金して枝打ちしてたわけじゃないから、自分の仕事を貯金してるようなもの。そう考えて、自分を納得させています。

先日、私の山で伐って出してきた木にも、枝打ち跡のある木がありました。

年輪を数えると、昭和20年代に枝打ちされています。

それを見て、「うちの番頭さんが戦地から復員してきてすぐ、自宅からうちの家に通う道すがらの山で、枝打ちしてくれてたんやろうなぁ~」と、自分を実の孫の様にかわいがってくれた番頭さんを懐かしく思いだしました。

そしてこの正月休み、このコラムのことを考えるうちに、「最近山づくりに行っていないなぁ~」と反省し、森林組合の仕事始めの前に、少しだけですが、山に行ってきました。

枝打ちのタイミングとしてはもう遅れているのですが、一本梯子を上り、「50年くらい経ったら立派な物になって、(おじいちゃんが枝打ちしてくれてたんやなぁ!)と、まだ見ぬ孫にでも思いだしてもらえたらええな!」と思いながら、一つ一つ鋸で枝を落としました。

今、林業は長い不況の中にいます。建築様式の変化で良材の需要は減っています。

そして良材を作ろうという機運は、山主の間でも、林業政策の中にも、ほとんど消えかかっています。

自分の代では成果が見えないかもしれません。

30年前の自分が思い描いた未来と今の状況のように、思惑通りに行かないことも多いでしょう。

でも、いまある木は、その昔の誰かが植えて、世話をしてきた木で、そのおかげで今の自分の生活が成り立っているのです。

それをただ消費していくのではなく、きちっと次の世代にも残していかないと!林業は、自分の仕事を世代を超えてつないでいく産業なんだということを、もう一度思いおこさせられた正月でありました。

先日枝打ちした跡の写真を見てもらって、今回はこの辺で失礼いたします。

著:龍神村森林組合 組合長 眞砂(まなご)