“森・樹・林業”について -その1-

2022.11.07

龍の棲む森プロジェクト”をわが龍神村で実施していただけること、大変うれしく思っています。これから数回コラムを書かせていただきます私、龍神村森林組合 組合長の眞砂(まなご)と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

さて、『龍神村』という名を目にして「いったいどんなところだろう?」と思った方、ネット検索する前に、よろしかったら30秒、目を瞑って想像してみてください。

~30秒~

霧におおわれた険しい山々と、そこを流れる清流を思い浮かべた方、
苔むした森の中、木々の間から差し込むお日様の明かりが浮かんできた方
錦絵のような色とりどりの紅葉や、雪をかぶったモノクロの山々を思い浮かべた方
どなたも正解です!

こちらをご覧ください。

もう少し説明しますと、 龍神村は、その名前の由来にもなった日本三美人の湯の一つ『龍神温泉』を中心とした観光と、古くから『龍神材』と名高い良質な杉桧を生産する林業の村です。

これから、何回かに分けて龍神村の林業や暮らし、日本の林業について書いていきたいと思います。

今回は最近ニュースなどで話題になっている『ウッドショック』の解説をとおして、少し日本の 林業の現状に触れたいと思います。

現在(令和 4 年初夏)『ウッドショック』と呼ばれる木材需給のひっ迫が起こっています。コロナ禍による世界的な物流の混乱と資源高により、外材が容易に(そして安価に)手に入らなくなったことが原因ですが、国内に豊富な森林資源を持つ日本が、なぜ外材に頼るようになったのでしょう。

時はさかのぼって昭和 39 年、国内の木材不足を補うため、輸入自由化が行われました。その後もしばらく (昭和55年頃まで) 木材価格は上昇しましたが、日本が経済力をつける中で、海外の平地にある広大な天然林から産出される木材(中には樹齢数百年の物もあり)は、品質が良く安価で安定的に手に入る木材として、国産材のシェアをどんどん奪っていきました。
平成の中頃には木材自給率が20%を下回り、丸太の価格も最盛期の5分の1まで落ち込みました。戦後から昭和40年代にかけて国を挙げて植えられた人工林が収穫期を迎え始めていたのですが、山村の過疎化・高齢化と木材価格の長期の低迷で、日本の林業は瀕死の状態でした。
そして、この時期から自給率50%を目指した取組みが始まり、価格はともあれ令和2年には自給率40%にまで回復していました。
そこに起こったのが『ウッドショック』です。国産材のシェアが回復傾向にあったとはいえ、まだ6割を占めていた外材供給の急変を補うには、 国内の林業はあまりに脆弱で人も足らず、この混乱が起こったわけです。

ただ、木材に限らず、簡単便利に海外から買えば済んでいたモノが、何かのきっかけで買えなくなるという今回の事態が、私たちの生活スタイルを考え直すよい機会になったのではと、私は思っています。

皆さんはどう受け止められたでしょうか? 今回はこれで失礼します。

著:龍神村森林組合 組合長 眞砂(まなご)